父源次郎が日正上人を匿う
どんな伝承か
貞子の生家は代々、日蓮宗不受不施派を信じる家だった。父の萬代源次郎は文久年間に土地の名主を務めていたが、当時の不受不施派は他宗から激しく迫害され、信仰が知れれば直ちに投獄されるほど厳しく取り締まられていた。本山中興の祖として名高い日正上人も役人に追われて各地を逃げ回る身となったため、源次郎は志を同じくする信者三人と力を合わせて上人をかくまった。やがてこれが露見して源次郎は牢に入れられたが、なお信仰を捨てず、上人の身の安全と宗門の発展を願い続けたという。その父の血を引く貞子も、最初の不思議を体験してからは、食べる時も眠る時も題目を唱えるようになった。
原典より
彼女の父源次郎は有志の信者三人と心を合はせ、遂に上人を匿まい後ち事現はれて舊岡山縣の牢舍に投ぜらる、…—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。