旧噴火坑の熊の足跡と法螺代わりの吟誦
どんな伝承か
炭焼き人夫と別れた著者は、切り立った婆谷の急な谷を休まず登った。中腹から上は残雪が幾重にも重なり、下から解けた所は雪のトンネル、上から解けた所は穴となって、足を運ぶのも危うい。何より気にかかったのは熊と猿の群れだった。前の登りでは、頂上の平らな所と呼ばれる旧噴火口らしい場所に熊の足跡があり、熊が餌をあさる所だと聞かされていたのである。子連れや手負いでなければ人を襲わないとは知っていたが、用心して人の来たことを知らせようと、山伏が法螺貝を吹いて霊山に入るのにならい、行進曲の唱歌や自作の七言絶句を声がかれるまで吟じながら、頂上の餓鬼平に登り着いた。
原典より
熊に對して人の来れるを知らしむべく大聲揚げて吐鳴り始めたるは恰も古来の山伏行者が法螺貝吹いて深山靈地に進み入ると同筆法だ、…—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。