館平山に籠った倉村の人々
どんな伝承か
会津合戦のとき、敗れた会津方の一隊が倉村の名主の家に逃げ込んだ。名主は星刑部義則公八代の孫にあたる。政宗勢が攻め込むのは必定なので、村人総動員で昼夜なく館平山の頂上まで九十九折りの馬道を開き、会津兵とともに立て籠った。頂上では井戸が掘れないので沢から手提げで飲料水を汲み上げ、山の四周には空濠を掘り巡らせて待機した。敵は必ず沢の水を飲むだろうと谷川に毒を流し込んだところ、押し寄せた敵勢は渇きのままがぶがぶ飲んで死ぬ者数知れず、ついに敗退した。だが村へ下りると新手の敵が襲い、名主らは遠く仙台まで拉致されたという。
原典より
会津合戦のとき、会津方の敗軍勢が倉村の名主の家に逃げ込んだ。—— 下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説(下郷町(編)・下郷町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説(下郷町(編)・下郷町史)
『下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説』は、会津の下郷町の町史民俗編のうち、町内の伝説を集めた第二節である。鏡沼の大蛇や二岐山のダイタンボウ、狼に食われた祖母、湯野上温泉猿湯の由来、高倉宮以仁王と桜木姫・紅梅御前の落人伝説、伊達政宗の戦の悲話、小野の長者と小野観音の金の鰐口などを収める。伝説を自然伝説・歴史伝説・信仰伝説に分け、各話に地名や供養塔・墓・文化財の現状を書き添えている。