熊野神社の味噌汁と会津の殿軍
どんな伝承か
明治戊辰の役に、戦いかつ退きつつあった会津の殿軍の一隊が、負傷兵を抱えたうえ兵糧も尽き、空腹の極みで大松川二十三か村の総鎮守である熊野神社にたどり着いた。神社にも米の蓄えはなかったが、味噌だけは多量に造り込まれていたので、菜大根や乾山菜をありったけ大釜でゆで、わずかの米粒をぱらぱらとまいて味噌汁を炊き上げ、将兵たちを賄った。兵たちはたちまち元気を取り戻したという。このとき神主は、官軍はすでに大内宿まで下っていると神託を下し、甲子山から二岐の湯を経て若松城へ入る間道を選ぶよう諭し、賽銭箱をはたいた路銀と沿道の寺社宛の書状まで持たせた。
原典より
明治戊辰の役に、戦い、かつ退きつつ、会津の殿軍の一隊が、負傷兵を抱えたうえ、兵糧が尽きてしまって空腹の極、隊長をはじめ全軍ヘトヘトになり、よろよろと大松川二三ヵ村の総鎮守熊野神社にたどり着いた。—— 下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説(下郷町(編)・下郷町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説(下郷町(編)・下郷町史)
『下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説』は、会津の下郷町の町史民俗編のうち、町内の伝説を集めた第二節である。鏡沼の大蛇や二岐山のダイタンボウ、狼に食われた祖母、湯野上温泉猿湯の由来、高倉宮以仁王と桜木姫・紅梅御前の落人伝説、伊達政宗の戦の悲話、小野の長者と小野観音の金の鰐口などを収める。伝説を自然伝説・歴史伝説・信仰伝説に分け、各話に地名や供養塔・墓・文化財の現状を書き添えている。