胡麻を作らぬ楢原の八幡宮
どんな伝承か
田島の折橋から郷頭として下郷に赴任した星玄蕃は、弘治年間に館ノ内へ居館を構え、同時に八幡宮を造営して荘厳な祭を営むようになった。この郷で胡麻を作らないのは、八幡太郎義家が奈良原を通って北進したとき、胡麻畑ですべり転んで胡麻の穂で目を突き、たいそう難儀をしたからだという。昔は八幡神社の祀られる里では、倉庫を建てること、犬を飼うこと、井戸を掘ること、麻を作ることなども禁忌として固く守られていた。文化が進むにつれて多くは守られなくなったが、楢原では八幡様に怪我をさせた胡麻だけは今も作られていない。
原典より
田島の折橋から、郷頭として下郷に赴任した星玄蕃は、弘治年間(一五五五)館ノ内に居館を構えた。—— 下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説(下郷町(編)・下郷町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
下郷町史 第5巻(民俗編)――伝説(下郷町(編)・下郷町史・自治体史(民俗))
福島県南会津郡『下郷町史 第5巻(民俗編)』所収の伝説。会津・下郷町に伝わる自然伝説・歴史伝説・信仰伝説を収録する。