束松峠と北条時頼
どんな伝承か
片門から西へ約四キロ行くと束松峠の頂上に達する。昔この頂上には年を経た松があり、枝がみな上に伸びて草箒を逆さに立てたようで、根元を束ねた形なので束松と名付け、峠の名にもなった。この松が枯れた後、東方の低い所に同じ形の松が育ち、枯れたほうを親束松、今あるものを子束松と呼び、さらに孫束松、ひこ束松と呼ぶ松も生えた。昔、北条時頼がこの峠を越したとき「陸奥の満田の山の東松千代の齢を家つとにせん」と詠んだと伝える。また松葉が全部赤くなって枯れかかった折、五十日ほどして伊勢神宮から「お松様」宛の礼状が届き、村人は東松が伊勢参りをして来たのだと判断したという。
原典より
片門から西に約四キロ行くと、東松峠の頂上に達する。—— 会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史・自治体史(民俗))
福島県会津坂下町の自然伝説・歴史的伝説・信仰伝説を網羅する。