勝負沢の山くずれ
どんな伝承か
宇内の南から西の山を越えて大原へ行く沢道を勝負沢という。むかし高寺山恵隆寺の僧兵と本寺恵日寺の僧兵が大戦争をして勝負を決した所だからと古老は説明するが、ある古文書には菖蒲沢とあり、もとは菖蒲の茂る沢だったのが、戦の後に今の字に改められたのではないかともいう。この沢道は会津と越後を結ぶ重要な道であったが、慶長十六年八月二十一日の大地震で山が崩れ、道が埋まってしまった。そこで急ぎ鐘撞堂峠が開かれ、塔寺に出て坂下・細工名を経て高久の旧道に合わせるようになった。高寺山が栄えたころ、勝負沢は重要な登山道であったのだろうという。
原典より
宇内の南から西の山を越して、大原(耶麻郡高郷村、もとは河沼郡千咲村)に行く沢道を勝負沢という。—— 会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
会津坂下町史 1(民俗編)――伝説(会津坂下町(編・山口弥一郎ほか)・会津坂下町史・自治体史(民俗))
福島県会津坂下町の自然伝説・歴史的伝説・信仰伝説を網羅する。