塙姓・惟喬親王と道真の系図祭り
どんな伝承か
津田の塙姓は十五、六戸あり、明治より前は七戸だったと伝える。本家の烏帽子子にあたる家も含むので、血縁だけの集まりではない。祖先は下野の塙郷から移ってきて、もう三十代を超えるという。家の系図には木地屋の祖とされる惟喬親王の名が記され、系図とともに烏帽子に直垂をまとった菅原道真の掛け軸も受け継がれている。絵の背景に梅が描かれているので、塙姓は梅鉢の紋を使うのだという。系図祭りは正月七日に各戸から男が一人ずつ出て営まれ、女は系図を見ることを許されなかった。本家の主人は朝湯で身を清めてから床の間に軸と系図を掛け、餅や果物、鰹節を供えて、のし餅を切り分けて参拝者に配った。祭りはしばらく行われていない。
原典より
系図には、木地屋の祖といわれる惟喬親王の名前が出ているという。—— 勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神(勝田市(編)・勝田市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神(勝田市(編)・勝田市史)
『勝田市史 民俗編――小祠の信仰と流行神』は、勝田市の市史の民俗編のうち、「信仰生活」の部の一部である。鎮守祭礼の移り変わりに続いて、屋敷神や同姓の家々で祀るウジガミと系図祭り、カマド神やエビス・大黒などの屋内の神々、病気や安産の祈願を集める小祠を、市域のムラでの調査と聞き取りによって記す。後半では流行神として上高場の六地蔵、腹切り佐七、塚信仰、東石川大島の無縁様を取り上げ、その由来と信仰の広がりをたどる。