皇軍が夷囚を埋めたという十三塚
どんな伝承か
宮内には十三塚と呼ばれる塚の列があった。新編武蔵風土記稿は、村の西に十三並んでいるが由来はわからないと記す。宮内氷川神社の縁起では、小名十三塚は社の南南西にあり、昔、皇軍が夷囚を斬って埋めた所だとしている。土地の人の話では、桶屋や電気店のあるあたりから中山道の方へ、八百屋の角の信号まで並んでいたという。あたりは雑木と茅の原で、一間幅の道の両側が盛り上がって塚になり、直径三メートル、高さ一メートルほどのなだらかな塚に雑木や草が茂っていた。昭和十七年ごろ、救済事業で道を広げたときに崩されてなくなったという。
原典より
そのころの救済事業で道を広げたとき潰してしまったのである。—— 北本市史 第6巻(民俗編)――伝説(北本市(編)・北本市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
北本市史 第6巻(民俗編)――伝説(北本市(編)・北本市史)
『北本市史 第6巻(民俗編)――伝説』は、北本市の市史民俗編のうち、第十一章「伝説・世間話・昔話・諺」の冒頭部分である。章の「はじめに」で四者の性格を説いたのち、第一節「伝説」に蒲桜・龍灯杉・一夜堤や多くの塚の伝承、送りオオカミ・河童・禁忌動物、おたきあげ・十日夜の由来など四十二項目を収める。多くの項目は見出しに石戸宿・高尾などの伝承地を添え、話者名や「埼玉県伝説集成」などの出典を▽で示す。(197字)