三義民を祀る惣代八幡
どんな伝承か
元禄のころ、壬生の村々は領主の厳しい取り立てに苦しみ、農民は一揆を相談するまでに追い詰められていた。一揆になれば多くの死者や罪人が出ると案じた稲葉の賀長市兵衛と石井伊左衛門、壬生の須釜作重郎の三人は、壬生十一か村の惣代として領主に嘆願書を出したが、聞き入れられず投獄された。反省したふりをして牢を出た三人は、最後の手段として幕府への直訴を企てたが、事が露見して打ち首になった。農民たちは三義民の霊を八幡社に祀って惣代八幡と呼び、市兵衛八幡ともいう。今も市兵衛の子孫の家で毎年十二月十五日に祭りが営まれている。
原典より
農民たちはこの三人の義民の霊を八幡社を建て祀り、それを惣代八幡と呼んだという。—— 壬生町史 民俗編――伝説(壬生町(編)・壬生町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
壬生町史 民俗編――伝説(壬生町(編)・壬生町史)
『壬生町史 民俗編――伝説』は、壬生町史民俗編のうち昔話と伝説の章を収めたものである。町史編さんの調査で町内の古老から集めた昔話を方言を生かして再話し、話者名を添えて動物昔話・完形昔話・笑い話・世間話に分けて並べる。伝説は吉次の墓・親抱きの松・大御堂などを動植物・歴史上の人物・塚と渕・神仏・地名に分け、地元の伝承に『郷土誌』『壬生領史略』などの文献からの引用を交えて載せ、一部の話に解説を付す。