累ヶ淵の妻殺し
どんな伝承か
杉と四右衛門のあいだには累という娘が生まれたが、母と生き写しで、片目・片手・片足が不自由だった。両親の死後、独り身で暮らしていた累のもとに、中国筋から流れてきた旅の聖の弥五郎が現れ、羽生村の念仏堂で熱病に倒れた。累に看病されて回復した弥五郎は婿に入って二代目四右衛門を名乗り、田畑を手に入れて財をなしたが、やがて累を疎ましく思うようになった。正保四年の夏、畑から帰る途中で鬼怒川堤にさしかかると、四右衛門は累の首を絞めて川に投げ込んだ。この様子を対岸の中津村にある良仙寺の下男、正右衛門が見ていたが、恐ろしさに口をつぐんだという。
原典より
正保四年(一六四七)の夏、四右衛門は累と畑に出た帰りがけ、鬼怒川堤に差しかかったとき、四右衛門は累の首を絞めて、鬼怒川のなかに投げ込んで殺した。—— 妖怪の民俗学――日本の見えない空間(宮田登・宮田登・民俗学・1985年(昭和60年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妖怪の民俗学――日本の見えない空間(宮田登・宮田登・民俗学・1985年(昭和60年))
『妖怪の民俗学――日本の見えない空間』は、宮田登が一九八五年(昭和六十年)に著した、妖怪の現れる場所を論じた民俗学の書である。柳田国男と井上円了の妖怪論、幽霊と妖怪の違い、口裂け女と産女、皿屋敷、化物屋敷と下女、辻・橋・境の怪異、怪光と怪音、七不思議、通り悪魔と髪切りを、古文献や新聞記事、各地の伝承から読み解く。四章から成り、都市の空間に妖怪が現れる仕組みを軸に据える。