石棺に入って往生した空純の入定塔
どんな伝承か
取手市小文間の福永寺には、空純が生きたまま入定した石塔がある。空純は福永寺中興の開山で、たいへんな秀才で徳を積んだ僧といわれる。同じ郡の羽根野村の生まれで、幼いころから修行を好み、長じて諸国を巡ったのち、仏の道の衰えを嘆いて福永寺に戻り、寺を修理し鐘楼を建て、地方では珍しい鐘を鋳て大いに教えを広めた。そして四十二歳の男盛りで自ら石棺を用意し、その中に入って往生を遂げたという。文久年間に石棺が開かれたときは遠近から参拝者が押し寄せた。幾百年を経た今も、貝塚の東に苔むした石塔が残っている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。