妃の遺品を埋めて祀った吾妻社のダンコ塚
どんな伝承か
龍ケ崎市北方(旧北文間村)にある吾妻社は、名引徳右衛門ほか三名の氏神で、ダンコ塚と呼ばれる所に鎮座する。祭神は景行天皇の皇子日本武尊の妃と伝えられる。東征の途中、上総へ渡ろうとしたとき海が荒れて船が転覆しかけたので、妃は自ら身代わりとなって海に身を投げた。すると嵐は静まり、尊は無事に上総へ渡り、さらに利根川を越えて北方に至った。ここに上総で上陸した所と同じような山があったのでダンコ塚と呼び、傍らの船の形に似た山を船尾山と名づけ、妃を偲んで遺品を埋めて祀ったのがこの社だという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。