小野篁が舘を構えた下都
どんな伝承か
小野町のあたりは古く小野保と呼ばれた。小野篁が奥州へ下ったとき、はじめ広瀬近くの矢大臣山の麓に舘を構え、のちに谷津作の下都というところへ移ったと伝わる。ここで篁の夫人愛子が一女を生み、比古姫と呼ばれた。後の小野小町だという。篁は比古姫を伴って都へ帰り、愛子はこの地で没した。その墳墓という円墳の傍らには天を衝く二本の大杉がそびえていたが、明治になって講主の争いから大杉は伐られ祠も壊された。円墳も鉄道敷設の土取りで毀され、そのとき素焼きの瓶が出て、中の金の簪や櫛は人夫に持ち去られたという。
原典より
この小野町地方は、古く小野保とよばれていた。—— 小野町史 民俗編――伝説(小野町(編)・小野町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
小野町史 民俗編――伝説(小野町(編)・小野町史・自治体史(民俗))
『小野町史 民俗編』第九章所収の伝説。福島県田村郡小野町に伝わる口承を採録する。