親王の牛車を通した御所車
どんな伝承か
上土木内町に「御所車」という土地がある。陸奥守北畠顕家が足利尊氏を討つため数万の軍を率いて鎌倉へ向かう途中、佐竹貞義に攻められ、今の日立市大みか付近で激しく戦ったが、背後から別の軍が攻めかかったため佐竹勢は敗れ、顕家の軍は常陸を抜けて鎌倉に着いた。顕家はこのとき、のちの後村上天皇である義良親王を奉じていた。親王の御車が久慈川を渡って米崎へ向かう際、上土木内あたりの悪路で牛車が動かなくなり、村人が力を合わせてその難所を越えさせた。その苦労をしのんで御所車と名づけたと伝えられる。
原典より
義良親王の御車が久慈川を渡って米崎に行くとき、この上土木内のあたりが道が悪く牛車は動かなくなってしまった。—— 常陸太田市史 民俗編――伝説(常陸太田市(編)・常陸太田市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
常陸太田市史 民俗編――伝説(常陸太田市(編)・常陸太田市史)
『常陸太田市史 民俗編――伝説』は、常陸太田市の市史民俗編のうち、第五章「ことばの伝承」の伝説と昔ばなしの部分である。第一節「伝説」は市域の伝説を自然的伝説・社会的伝説・歴史的人物伝説・信仰的伝説の四つに分け、国見山・赤沼・源太郎狐・十王坂・舞鶴城・義家・親鸞・徳川光圀・真弓山の天狗などの話を記す。社会的伝説には地名のいわれや塚・城跡の伝承が多く、第二節「昔ばなし」は冒頭の三話だけを収める。