十日市場のごじょの住家跡
どんな伝承か
明治末期ごろ、今の鐘楼門の東の一段低い所に二間×二間半ほどの草屋根の小屋があり、常に三、四人の盲女が自炊していた。目明きの少女が一人か二人この家に住みつき、ごじょの手引きをしていた。ごじょの住家はこのほかに二つあり、十日市場の南のものは民家の間の空き地にあって明治二十年代に空き家となり朽ちかけていた。十日市場の北のものは明治三十年代末まであり、多いときは四、五人の盲女がいて、老人はあんまをし、若い人は三味線を弾いて門付けをしていた。この二軒とも、当時は一般の家が草屋根であったのに瓦屋根であったのは、江戸時代の名残りらしかった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
御嵩町史 民俗編
『御嵩町史 民俗編』は、御嵩町の町史の民俗編のうち、第一〇章「物語・伝説」の冒頭の二節を収めたものである。第一節は、正治元年のころ上之郷の洞穴に住んだという鬼「関の太郎」の退治譚とその異説、鬼の首塚・胴塚・手塚・首洗い池の今の様子、幕末の俳人五歩が記した東濃鬼ヶ窟の由来を載せる。第二節は、御嵩で盲目の女性遊芸者を「ごじょ」と呼んだいわれと、明治以後の暮らしを記すが、途中で切れている。