太子信仰と板尾の神
どんな伝承か
板尾の神社には御神体として聖徳太子の幼い姿の像が祀られ、南無仏と呼ばれている。天保六年の社旗には南無観世音と書かれており、お宮と呼ばれながらも観世音を本尊とする寺のようなものであったという。太子像が平安期のものか鎌倉期のものかは知られていないが、板尾は平家の落人が定住した村と伝えられ、直海谷九ヶ村の中間にありながら板尾谷の奥の古屋敷にあって孤立した村であった。山で木を伐る者や金掘り、木地師、鋳物師の間にはなぜか太子信仰があったといわれる。南無観世音の宮が八幡の神社となったのは明治になってからである。
原典より
聖徳太子が七世紀末より、八世紀初頭にかけて、信仰にも似た太子によせる思慕というか、敬崇の気風が朝野に拡がり、聖徳皇とおくり名されたように次第に神格化されていったという。—— 河内村史 下巻(民俗編)――白山麓の伝説(河内村(編)・河内村史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
河内村史 下巻(民俗編)――白山麓の伝説(河内村(編)・河内村史)
『河内村史 下巻(民俗編)――白山麓の伝説』は、白山麓の河内村の村史の民俗編から、民話・伝説と故事を記した節を収めたものである。白山の千蛇ヶ池や富士山との背くらべ、高ボウケの大蛇、猿仏の名号、おひなの荒、天狗、菊酒、池の金山の伝説など、村と周辺に伝わる話を、白山関係の古文書や郡誌を引きながら記す。第三節「民話 伝説」、第四節「故事 伝説」、第五節「伝説」に分け、話ごとに題を立てて由来や現地のようすを添えている。