寛明院の惣狐憑け騒動
どんな伝承か
駿河庵原郡水島村宍原の鈴木敏一家には、『寛明院一件』と称する記録が伝わる。寛政一三年六月、鈴木家六代目の源左衛門が筆をとったもので、寛明院と称する修験者が「惣狐」というものを使うと風聞され、それを憑けられたという者が六、七名も出て大騒ぎになった顛末を記す。注意すべきは、この一冊の裏に、当の寛明院自身がこれは事実であるとして確認の裏書をしていることで、これをもってすれば、寛明院はみずから意識して狐を使っていたことになる。千葉徳爾が発見した文書である。
原典より
これは、寛政一三年六月、鈴木氏の六代目源左衛門の筆に成るもので、寛明院と称する修験者が、「惣狐」というものを使うと風聞され、…—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。