医師陶山簸南が説いた『人狐弁惑談』
どんな伝承か
伯耆もまた人狐の多い土地で、文政元年九月、西伯郡五千石村八幡の医師陶山簸南が『人狐弁惑談』を出版して迷信を正そうとした。京都の書林文泉堂から出た美濃紙六十六枚の木版本で、人狐とは小さな鼬の仲間にすぎず特別な獣ではない、人狐のせいとされる者を診ればみな明らかな病気であり、騒ぎの始まりは祈禱をする法者にある、と診察の実例を挙げて説いた。実証の点では先の『出雲国内人狐物語』に数段まさるとされるが、それでも迷信はなくならなかったという。
原典より
これに次いでは、文政元年九月、伯耆五千石村八幡の医師陶山簸南の『人狐弁惑談』があり、京都寺町二条下ル書林文泉堂より発行しているが、実証性という上からいうと、この方が前者に数段まさっている。—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。