触書も告示も消せなかった狐持の迷信
どんな伝承か
憑きもの現象の盛んな地方では、為政者がこの迷信を打破する告示を出した。寛政三年(一七九一)に松江藩が出した「狐無之御触書」は、人狐という動物など存在せず、キツネが憑いたというのはよこしまな祈禱者の言葉に愚かな者が迷わされたに過ぎない、と述べている。こうした触書はその後もたびたび出されたが効果はなかったらしい。明治四十年(一九〇七)には島根県教育会がキツネモチ迷信撲滅の告示を出し、「斯る野蛮の悪俗を存するは実に恥づべき事」と述べたが、成果はあまりあがらなかった。キツネモチの家への結婚差別は根強く続き、自由な結婚の障害になった。持筋の部落民大会や氏神への「人狐解消報告」も効を奏さなかった。
原典より
* **注*** **あとがき**### **序章「憑きもの」に憑かれて**戦後のまだ食糧事情の悪い、一九五一年の夏、私は苦労をして汽車の切符を手にいれ、東京から山口県田布施町に向かった。—— 日本の憑きもの(吉田禎吾・民俗・憑きもの研究・1972年(昭和47年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの(吉田禎吾・民俗・憑きもの研究・1972年(昭和47年))
『日本の憑きもの』は、吉田禎吾が一九七二年に著した人類学の研究書である。キツネ・イヌガミ・オサキなどの憑きもの信仰と、それを家筋で伝える憑きもの筋を、島根・高知・大分などの村での調査事例と古記録をもとに取り上げ、アフリカやヨーロッパの邪術・妖術と比べて論じる。三章立てで、憑きものの正体と特色、憑きもの筋の形成と伝播、憑きものが村落社会で果たす働きを順に述べ、注とあとがきを付ける。