明治の火災で失われた宝源寺
どんな伝承か
鹿の川にはかつて宝源寺という寺があり、農協の西側に建っていた。この寺は明治三十三年に火事に遭っている。宝源寺はもともと国瑞寺と同じ宗派の寺で、鹿の川の人々はいまでは国瑞寺の檀家になっているという。
原典より
鹿の川の寺は宝源寺といって、明治三十三年に火災にあった。—— 笠懸村誌 別巻2 資料編 民俗篇(笠懸村誌) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
笠懸村誌 別巻2 資料編 民俗篇(笠懸村誌)
『笠懸村誌 別巻2 資料編 民俗篇』は、笠懸村の村誌の別巻にあたる資料編のうち、民俗篇の一部である。竹沢・鹿の川・北山・山際・岩宿などの集落に伝わる民間信仰を収め、産泰様や大間々の道了様への参詣、オサキ使い、ものもらいや百日咳のまじない、地震・雷・雹のときの唱え言、赤城山の雲を見る天気占いなどを記す。俗信・まじない、天候や動物に関する俗信、仏教民俗、忌詞の項からなり、各条の末に伝える集落名を添える。