薬師如来をめぐる正福寺と立石城の和解
どんな伝承か
三田市上青野の千丈山正福寺にまつわる話。下田中の立石城主山崎左馬介恒正は山崎ノ鼻に平福寺を建てたが肝腎の本尊がなく、正福寺へ別堂の薬師如来を譲れと何度も申し入れたが応じられず、家臣には焼き討ちを進言する者もあった。折しも武士になる機会を窺っていた内神村の久五郎が、山崎家の家臣岡村久五郎と名乗って正福寺に現れ、甘言で承認させ、次に剃髪して僧形となり正福寺の使者として立石城へ乗り込み、寺領の寄進を約させて双方を和解させた。平福寺は山崎家の菩提寺として栄え、久五郎も後に武士に取り立てられたという。
原典より
山崎の家臣の中には『寺を焼き討ちしても……』と強硬策を進言する者もあった。—— 兵庫県民俗調査報告8――伝説(兵庫県(編)・兵庫県民俗調査報告) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
兵庫県民俗調査報告8――伝説(兵庫県(編)・兵庫県民俗調査報告)
『兵庫県民俗調査報告8――伝説』は、兵庫県の民俗調査報告の一冊のうち、第10章「口頭伝承」を収めたものである。三田市の乙原・小野・尼寺・青野・末の各地区を対象に、集落の発祥や神社、廃寺、城跡にまつわる伝説、天狗に導かれたという松住大権現、狐狸の怪、狼の話などを、聞き書きと『門野氏郷土物語』などの郷土の記録から記す。伝説のあとに昔話とわらべ歌を続け、わらべ歌は地元の中学校生徒会の協力で集めた尻とり歌や羽根つき歌を載せる。