黍餅を神に供えない由来
どんな伝承か
野栗では、黍の餅を神様に供えてはならないとされ、そのわけが二つ語られる。一つは、黍は土用の八日に生まれたので生まれ日が悪いというもの。もう一つはこうである。黍は唐の国からおばあがふんどしに包んで持ってきたものだという。昔、天竺の神様が作物を下界へ下ろしたとき、黍はあまりにうまいので下ろさないと言われ、持ち出せなかった。それを親切な神様が腹の中に入れて運び下ろしたので、ひどいことをしたと言われ、神前には供えないのだという。野栗権現の氏子は黍を作ってはならないともいわれる。
原典より
これをある親切な神様が、腹へ入れて持ち下したのでそれをひどいといわれ、神様にお供えはしない。—— 群馬県多野郡上野村の民俗 上――俗信・山の怪異(群馬県民俗調査報告書 第2集・群馬県民俗調査報告書) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
群馬県多野郡上野村の民俗 上――俗信・山の怪異(群馬県民俗調査報告書 第2集・群馬県民俗調査報告書)
『群馬県多野郡上野村の民俗 上――俗信・山の怪異』は、上野村で行われた民俗調査の報告のうち、聞書と俗信の部分を収めたものである。川和・住居附・野栗・奥名郷・勝山・野栗沢などで聞いた講、病気の呪い、雨乞い、禁忌と兆、山の神とオコジョ、オサキや狐つき、狐やむじなに化かされた話、一ツ目入道や山姥を、話者や部落名を添えて記す。上野勇の聞書と、昭和二十三年に東部の部落を調べた関口正の報告が入り、井田安雄の「乙父の民俗」は書き出しだけが載る。