秀吉が策を練った太閤岩
どんな伝承か
三里山の北西、新町の字平尾山と中野町との境をなす尾根の標高二百メートルほどの所に、五トンばかりの大岩が二つ並んで地表に顔を出している。岩の上に立つと丹南の三郡や福井の方の平野が足もとに広がって眺めがよく、軍略を練るにも適した場所だったと思われる。天正十一年、豊臣秀吉が福井城主の柴田勝家を攻めたとき、この岩に腰を下ろして策を巡らせたと伝えられ、そこから太閤岩と呼ばれている。
原典より
三里山の西北方、新町地籍字平尾山と中野町地籍の山の境界線の尾根で、標高約二百メートルの所に重さ五トンばかりの大岩石が、二箇相接続して地上に露出している。—— 鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説(鯖江市(編)・鯖江市史)
『鯖江市史 史料編 第1巻(民俗編)――伝説』は、福井県鯖江市の市史のうち、史料編第一巻の民俗編にあたる巻である。市内の各町に伝わる伝説を、町名を添えて収め、泰澄・親鸞・弁慶にまつわる木や岩、山姥やてんぐ、たたりのある一本杉、地名の由来を記す古文書の写しなどを載せる。自然物・岩石・動物・家屋敷・城跡・道・橋・寺院・塚墓・人物・事件の項に分け、後半には昔話・笑い話・果なし話と田植え唄などの民謡を置く。