少年にかかった眷属と稲荷講社の始まり
どんな伝承か
静岡県の不二見村下清水に本部を置いた稲荷講社は、ひとりの少年の神がかりから始まったという。一八九二年、土地の稲荷神社に仕えていた十四歳の宮城野金作に、御穂神社の眷属ヤチヒコノミコトがかかり、神職の長沢雄楯に稲荷の真の姿を世に伝えるよう命じた。これが講社の起こりで、長沢は師の本田親徳から受け継いだ鎮魂帰神を広め、のちに若き喜三郎を審神することになる。
原典より
稲荷講社は、一八九二年(明治二十五)、同地の稲荷神社に仕えていた宮城野金作という十四歳の少年に、御穂神社の眷属ヤチヒコノミコトがかかり、神職の長沢に稲荷の真姿を宣べ伝えるように命じたことに始まるという。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年))
『出口王仁三郎』は、村上重良が昭和四十八年に著した大本教の指導者出口王仁三郎の評伝である。丹波穴太村の小作農の家に生まれた上田喜三郎の生い立ちと修行から、出口直との出会いと大本教の拡大、大正維新と不敬事件、『霊界物語』の口述や入蒙、昭和神聖会と大弾圧、法廷での闘い、晩年までをたどる。「故山の夢」「道の大本」「人類愛善」の三章に分けて叙述し、巻末に略年譜と参考文献を付す。