有栖川宮の落胤という王仁三郎の出生譚
どんな伝承か
出口王仁三郎の生まれについて、のちのちまで語られた貴種の落胤説がある。母のよねは、かつて伏見の格式ある旅館で女中奉公をしていた。その宿が征討大総督・有栖川宮熾仁親王の定宿だったことから、よねは親王の子を身ごもって村へ帰り、男子を産んだ——というのである。よねは生涯、証しとして親王から授かったという守り刀とお守りを手放さなかったといわれる。維新の動乱を背景にした哀話だが、生家の上田家はもともと家系も定かでない貧農であり、この説は捉えどころのない伝説にすぎない。のちに王仁三郎を皇族の落胤とすることに意味が生じた段階で、教団の内外へ意図的に広められたものだろうと見られている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年))
『出口王仁三郎』は、村上重良が昭和四十八年に著した大本教の指導者出口王仁三郎の評伝である。丹波穴太村の小作農の家に生まれた上田喜三郎の生い立ちと修行から、出口直との出会いと大本教の拡大、大正維新と不敬事件、『霊界物語』の口述や入蒙、昭和神聖会と大弾圧、法廷での闘い、晩年までをたどる。「故山の夢」「道の大本」「人類愛善」の三章に分けて叙述し、巻末に略年譜と参考文献を付す。