穴太村に生まれた喜三郎
どんな伝承か
年譜によれば、明治四年旧七月十二日(新暦八月二十二日)、丹波国桑田郡穴太村の上田吉松・ヨネ夫妻の長男として一人の男児が生まれ、幼名を喜三郎といった。この人物はのちに出口ナオの神憑かりに連なり、高熊山での神秘体験を経て、皇典講究所入学や綾部への帰還、機関誌『神霊界』創刊など大本の教団活動を担っていくことになる、とする年譜の冒頭の記載である。
原典より
明治四(一八七一)年八月二十二日、むし暑い夏の夜八時ごろ、この穴太村に住む貧農上田吉松の妻ヨネは、にわかにはげしい陣痛をおぼえ、まもなく、ひとりの玉のような男の子を生みおとした。—— 出口王仁三郎の霊界からの警告――発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相(武田崇元) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎の霊界からの警告――発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相(武田崇元)
『出口王仁三郎の霊界からの警告――発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相』は、武田崇元が著した、大本の出口王仁三郎の予言をめぐる解説書である。開祖出口ナオの神憑かりと王仁三郎の生涯をたどりつつ、日露戦争から太平洋戦争・敗戦に至る予言や、発禁とされた予言詩『瑞能神歌』、『霊界物語』の記述を取り上げる。予言と二度の大本弾圧を軸に歴史との符合を論じ、秘章で入蒙や出生をめぐる謎を扱い、巻末に年譜を付す。