長寛二年の大塚合戦と為朝
どんな伝承か
『延陵世鑑』は、長寛二年甲申の春、鎮西八郎為朝が大隅と薩摩を攻め従えたのち日向へ向かったと記す。日向では土持冠者栄妙を大将に、嫡男の通綱、その子の惟綱らを主だった兵として、宮崎郡大塚の戦場に陣を構え、数日にわたって防ぎ戦ったが、敵が多勢であったためついに和睦して従った。為朝は日向で二十三度の合戦を重ね、三年のうちに九州を攻め従えて、みずから筑紫総追捕使と号したという。このときの戦死者を葬った大きな塚が二つあり、それゆえこの地を大塚と呼ぶのだと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第14巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第14巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全75話(熊本・宮崎・鹿児島=南九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。