為朝の子が浦添按司となる由来
どんな伝承か
舜天尊敦は鎮西八郎為朝の子であるとして、その由来を記す。為朝は保元の争いののち死を免れて伊豆大島へ流され、五つの島を従えたが、島々を征する途中で船が潮に流されて流虬に至り、以後その字を流求と改めたという。国の者は日本の武具に恐れて従い、為朝は大里按司の妹と契って尊敦をもうけた。やがて故郷を慕って妻子を連れ船出したが二度とも逆風に阻まれ、船人が女を乗せると竜神の咎めがあると訴えたので、妻子を牧那渡の浦に下ろして帰国する。女房は子を連れて浦添に上って暮らし、子は十五歳で浦添按司となった。のち逆臣利勇が王を毒殺して位を奪うと、尊敦は父の形見の武具で首里の城を攻め、推されて即位したと記す。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第15巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第15巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全185話(奄美・沖縄=南西諸島)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。