題目の祈りで大岩を割った見昭坊
どんな伝承か
清哲町中谷の南端を流れる谷口沢は、およそ三百年前の徳島堰開削のとき、徳島兵左衛門がこの地の工事始めに矢を打ち込んだことから、里人がその場所を「矢打」と呼び、流れる沢も「矢打沢」と呼んだのが始まりで、いつの時代からか谷口沢になったという。堰を樋口区の八峰まで進めたところ大きな岩石に阻まれ、樋口村の法印東庵と中谷村の安兵衛らが相談して、身延山本寺から見昭坊上人を招いた。上人が七日間題目を唱えて祈願すると、夜中に岩石がうなりを発し、翌朝には見事に割れていたと伝わる。
原典より
中谷の南端を、ささやかに流れる谷口沢は、今から約三百年前、徳島堰開削のとき、徳島兵左衛門が、こ地の工事始めに、矢を打ちこんだので、そこを里人が「矢打」と呼んだのが始まりで、今もこの付近を農耕地の小字となっている。—— 韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年))
『韮崎市の民話伝説』は、韮崎市教育委員会が昭和四十二年に発行した民話・伝説集である。韮崎・円野・中田・穴山・藤井・神山・穂坂・清哲・旭・大草・竜岡の十一町で民俗資料調査員が集めた百六十八話を収め、武田信玄・勝頼や鎮西八郎為朝、弘法大師の話、山の神のたたりや化かされた話などに話者名や『裏見寒話』などの出典を添える。巻頭に昔話と伝説の解説を置き、本文を木・石・水・塚・坂峠・山・谷沢・屋敷跡城址・祠堂・その他の十部に分ける。