七里岩に鳴った鐘の移り変わり
どんな伝承か
縁故節に「鐘が鳴ります七里岩」と歌われる鐘の歴史は天明三年にさかのぼる。当時の文書には、雲岸寺から鐘を十五年の約束で借り、年貢として甲金三分を納めるという名主らの証文が見える。鐘は時を告げ、宿場ばかりか周りの村々にも喜ばれた。明治六年ごろには岩根の福昌院からさらに大きな釣鐘を借りて打ち続け、のちに布屋の小林七左衛門が買い取って韮崎町に寄付した。昭和十八年の金属回収で供出されてからは戻らず、今はサイレンが正午を告げる。昭和二十一年、鐘を慕う町民は穴観音の祭典の日に思い出の地の標柱を建てた。
原典より
縁故節でなじみの「 ほろほろ釜無川原よ、鐘が鳴ります七里岩」の鐘は遠く、天明三年から始まっている。—— 韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年))
『韮崎市の民話伝説』は、韮崎市教育委員会が昭和四十二年に発行した民話・伝説集である。韮崎・円野・中田・穴山・藤井・神山・穂坂・清哲・旭・大草・竜岡の十一町で民俗資料調査員が集めた百六十八話を収め、武田信玄・勝頼や鎮西八郎為朝、弘法大師の話、山の神のたたりや化かされた話などに話者名や『裏見寒話』などの出典を添える。巻頭に昔話と伝説の解説を置き、本文を木・石・水・塚・坂峠・山・谷沢・屋敷跡城址・祠堂・その他の十部に分ける。