天平の都市だった相模国府
どんな伝承か
天平のむかし、相模国の中心は今の海老名市国分にあった。国分台地には広大な瓦ぶきの国衙が建ち、守・介・掾・目と呼ばれる役人の官舎や、米などを納める校倉造の倉庫が連なって賑やかな都市を形づくっていた。相模川は今よりもっと海老名側を流れ、両岸には区画された水田が広がり、丘陵のかげには農民の草ぶきの竪穴式住居が数戸ずつ集まっていた。川幅が広く水量も豊かな相模川には渡し舟が通い、都へ上り下りする旅人は必ずこれを利用した。国府には学校・病院・神社があり、伝馬や市場も付属して、人口は数千人から一万人近くあったと推定される。海老名が最も栄えたのは、聖武天皇の発願で国分寺が建立された天平十三年以後であった。
原典より
はるか天平のむかし、神奈川県(相模国)の中心は、いまの海老名市国分にあった。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。