馬の執念が残る身投げ石
どんな伝承か
天正年間、木付城下の八坂庄に、岡の殿と呼ばれる裕福な豪族がいた。一人娘の姫が重い病に伏すと、ふらりと現れた修験者が、黒い花の咲くユリの根を煎じて飲ませよと言い残した。殿は見つけた者に姫を嫁がせると約束して皆を探しに出したが、誰も持ち帰れない。そこへ殿の栗毛の馬が黒ユリをくわえて駆け込み、姫は全快した。殿は相手が馬だからと約束を忘れたが、馬は姫につきまとい、ついに厩を破って若宮社参りの帰りの姫を追った。姫は八坂川の淵に突き出た『岡の殿の昼食岩』によじ登ったが、馬も駆け上がってきたため川へ身を投げ、馬も後を追って消えた。以来その岩は身投げ石と呼ばれ、蹄の跡が今も残るという。
原典より
「身投げ石。」には今でも、おそろしい馬の執念のひずめの跡がまざまざと残されている。—— 大分県の民話 第1集(土屋北彦・大分県の民話シリーズ) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
大分県の民話 第1集(土屋北彦・大分県の民話シリーズ)
『大分県の民話 第1集』は、大分県に伝わる伝説と昔話四十四話を収めた民話集である。杵築・国東・玖珠・久住・日田・大分などの土地にまつわる城主の姫の悲話、地蔵や御名号の霊験、大蛇やカッパのたたり、馬鬼退治、大友・島津の合戦の話に、亀の報恩、瓜姫、山うば、猿と蟹などの昔話を交え、方言の語りのままの話も含む。最後に、八百屋お七の恋人吉三郎が杵築の旅籠の主の勧めで八坂村白水に正寛寺を建てた由来を置く。