八坂川のがあたろと親子の仇討ち
どんな伝承か
壇の浦で滅んだ平家の人々の怨霊がカッパになったといい、その一群は豊後の八坂川にも流れ着いて、土地では「があたろ」と呼ばれた。少年の太吉は夕暮れの土手でがあたろと相撲をとり、尻子玉を抜かれて腑抜けになった。父の太助は仇を討とうと、牝牛の背にまたがって牛の尻を川へ向けて待ち、があたろが手を伸ばした瞬間に牛の腹側へ身をかわした。牛の尻に手を入れたがあたろの腕をつかみ、生け捕りにした。詰め寄る太助に、があたろは一度抜いた者は元に戻せないと答え、ただ自分たちは金気を嫌うので、金物をそばに置いておけば襲われないと教えた。息子は戻らないと分かって放してやると、があたろは礼に、六月の水神祭りの日には仲間が皆いなくなると明かした。以来、八坂の人々はその日の夕方に川で水浴びをし、男の子は中洲で「があたろ相撲」をとるようになったという。
原典より
薄暗くなつていたので、太助が逃げたとは気付かず、があたろは太助のしりと間違えて、牛のしりに手を入れてしまった。—— 大分県の民話 第1集(土屋北彦・大分県の民話シリーズ) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
大分県の民話 第1集(土屋北彦・大分県の民話シリーズ)
『大分県の民話 第1集』は、大分県に伝わる伝説と昔話四十四話を収めた民話集である。杵築・国東・玖珠・久住・日田・大分などの土地にまつわる城主の姫の悲話、地蔵や御名号の霊験、大蛇やカッパのたたり、馬鬼退治、大友・島津の合戦の話に、亀の報恩、瓜姫、山うば、猿と蟹などの昔話を交え、方言の語りのままの話も含む。最後に、八百屋お七の恋人吉三郎が杵築の旅籠の主の勧めで八坂村白水に正寛寺を建てた由来を置く。