義経の死を知った静御前の思案橋
どんな伝承か
茨城県猿島郡勝鹿村大堤の字思案橋にあった、長さ三間半の木の橋にまつわる話である。白拍子の静御前は義経のあとを慕ってここまで来たが、義経が討ち死にしたと知って呆然とし、しばらく橋の上を行きつ戻りつ思い悩んだ末、意を決して京へ帰った。そのため土地の人はこの橋を思案橋と呼んだという。『日本伝説・北武蔵の巻』は、秋の末に栗橋を過ぎた静が橋の上で陸奥から来た旅人の話を耳にし、召使いに確かめさせて義経の死を知り、泣き尽くしたのち橋のたもとで若い命を終えたと記し、橋は静の思案橋とも涙橋とも呼ばれたとする。
原典より
これを聞くと静は、暫く橋の上で思案にくれてゐたが、やがて潜々と玉のやうな涙を流し心悲しみの悶え極みに達して、ただ橋の上をさまよい歩き、心ゆくばかりに義経の上を悲しみてひたすらに泣きに泣いた。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。