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飫肥・平部俊彦の墓

所在地宮崎県日南市飫肥(小倉処平の墓)
年代明治・西南戦争頃
登場平部俊彦、小倉処平、嶠南、西南の役で自刃した飫肥の人物、平部俊彦の祖父・碑文の筆者
出典定本柳田国男集 第1巻

どんな伝承か

柳田は十二年ぶりに飫肥の町を訪れ、町はずれを歩いた。伊東家の墓域とは岡一つを隔てて、今も人々が参る一団の墓がある。近世の二度の戦役でこの土地から多くの若者が出て戦死し、隣の区画には、その叔父の世代にあたる数十人が、当時賊と呼ばれた側で討死して眠っている。三十二歳で腹を切った小倉処平の墓を中心に並ぶ墓には年齢と倒れた場所しか刻まれていないが、二十八歳の平部俊彦の墓だけは祖父の嶠南先生が碑文を書いた。十四で孤児となった俊彦を祖父が育て、小学教員だった彼は事件が起こるとすぐ小隊長として出陣し、立派に戦死したという。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)

『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。

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