国頭の船越と船形の岩
どんな伝承か
恩納の仲泊には船越という、人が担いで小舟を西へ越えたという地名がある。また同じ郡の石川まで海は僅か十町しかなく、中城湾の波が西海岸に聞えると言ってもよい。この辺の入江から美里の海へ打ち越し、往来に三箇所の船越を設けたのも大昔からのことであった。しかも昔の刳舟はいずれも皆大きく、随分と山越えの労を要したと見えて、この近所の伝説にも、その労を避けようとして海中へ逃げた船の跡、すなわち船の形をした岩が処々にあるという。刳舟はほとんど丸木舟で、木材の豊富な国頭の松樹をもって造り、海上において軽快なことは想像以上であった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。