嬰児を抱いて奥方が沈んだ稚児ヶ池
どんな伝承か
埼玉県入間郡山口村大字山口の山口城址は、南北朝の頃に山口党の山口高治が居た城で、高治は宗良親王に従って挙兵を図ったが事が漏れ、足利氏満に攻められて正平二十二年九月に城は落ち、高治は瑞岩寺で自刃したと伝わる。著者が土地の史蹟研究家の案内で夜の城址を歩いたとき、木立の奥で案内者は懐中電灯を向け、城が落ちるとき城主の奥方が侍女に年上の子を北の丘伝いに逃がさせ、自らは乳飲み子を抱いて身を投げたという稚児ヶ池だと教えた。城の東端にあたるこの池は城濠の一部だったともいい、今は小さく縮んで電車の橋脚が立っている。再訪すると、池の畔に新しい祠が祀られていた。
原典より
『城主の奥方が、侍女と共に年上の子供をあの北方の丘陵傳いに逃がしてから、嬰兒を抱いて身を投げたとゆう傳説の「稚兒ヶ池」ですよ』—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。