弁慶の体が分かれて眠る二つの岡
どんな伝承か
坂井郡兵庫村のいまめ山と大森とにある二つの岡は、弁慶がもっこで運んだ土でできたものだという。大森の下には弁慶の胸から上が、井向の今仰堂の下には腹から下が埋まっていると伝える。原典の著者はこれを巨人埋葬伝説における死体分解の一例と見て、衣川の合戦で死んだという伝えとどう関係するのかと問い、この内容は二つ以上の要素が複融したものと見るべきだと述べている。自ら土を運んだ場所であることと、そこに埋められていることとは、本来別々のことだからである。
原典より
坂井郡兵庫村のいまめ山と大森とにある二つの岡は、辨慶が、もつこで運んだ土で、大森の下に辨慶の胸から上、井向の今仰堂の下に、腹から下があるといふ。—— 福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年))
『福井縣鄕土誌 民間傳承篇』は、福井市立実科高等女学校の郷土誌第二輯として教諭中塩清之助が編み、昭和十四年二月付の学校長金岡正孝の序を巻頭に置く。丹生郡の名、哭女、越前萬歳、仏の舞、幸若舞、猫塚、隠れ里、子育て幽霊、愛発の関、弁慶譚、八百比丘尼、水の神女譚を、古文献や他地方の類例と照らして論じる。生徒が集めた県下の昔話は類話をA・Bなどに分けて並べて解説を付し、校正者大村四朗の跋を添える。