白米を裾湯と見せた猿ヶ京の城
どんな伝承か
『上野国吾妻記』の記事。天正八年秋の頃、猿ヶ京の要害は尻高左馬之助憲治が北条氏直から預かり、三年堅固に守ってきた。前年から新巻・小川・名胡桃・我妻が一味して折々戦いを挑んだが要害は無事だった。しかし沼田家がことごとく北条家に背いて甲州方につき、真田昌幸の旗本として忠勤するようになると、左馬之助は遠隔の地ゆえ諸侍の談合にも加われず、人々が皆敵方に組したため、舟路に楫を絶ち夜に灯を消したような孤立無援の有様となった。それでも武士の習いとして弱気を見せずに月日を送ったが、この城は水が乏しいのが難儀で、敵に知られまいと折々馬に裾湯をかけるふりをして白米を流し、水が豊富にあるように見せかけたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
群馬県史 資料編 27(群馬県史)
『群馬県史 資料編 27』は、群馬県の県史の資料編の一冊で、収めるのはその「第三章 伝説」である。伝説の定義と分類、『神道集』や近世の地誌から明治以降の郡村誌・伝説集に至る県内の調査の歩みを述べ、赤城と日光の神戦、赤堀道元の娘と木部姫の入水、文福茶釜、羊太夫、弘法伝説などを群馬の伝説の特色として論じる。続いて代表例を自然的・社会的・信仰的伝説の三つに分け、各地の口承と古記録を伝承地を添えて並べる。