落人をかくまった興雲寺の鐘
どんな伝承か
竹の下宿から鮎沢川を隔てた丘の上の興雲寺では、堂守の庄兵衛と娘の小夜が朝夕に鐘を撞いていた。建武二年十二月、尊良親王を奉じた新田義貞の官軍がこの地で足利勢を迎え撃ったが、嵐の夜に足柄峠を越えた敵に敗れ、寺の本堂も焼かれた。翌朝、裏の竹藪で、事切れた老僕藤助に背負われた若い武士遠山俊馬を見つけた親子は、藤助を葬り、俊馬を厨にかくまって介抱した。落人狩りを進める烏丸郷太夫に、村の嫌われ者仁平太が密告し、峠の並木で捕らえる手はずが整う。だがその夜、黒い影が仁平太と郷太夫を斬って消えた。翌朝の鐘は小夜が撞き、去った俊馬に届けとばかりに響いたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
小山町史 第9巻 (民俗編)(小山町史)
『小山町史 第9巻(民俗編)』は、静岡県駿東郡小山町の町史の民俗編から、口頭伝承の章の伝説の節を抜き出したものである。石子詰にされた忍びの若者・用沢小僧の伝えを出典ごとに並べ、むらの名の由来、金太郎ゆかりの地と石、仇討如来や鬼鹿毛馬頭観音、村境の決め方、竹之下合戦にまつわる伝えなどを収める。富士山麓と足柄山のあいだの町に残る、地名と社寺・石に結びついた言い伝えが中心である。