下がり藤に加の字の家紋の言い伝え
どんな伝承か
傍示には、家紋が「下がり藤の中に加」の字という旧家があり、そのため加藤清正の子孫だと昔から言い伝えられている。言い伝えでは、祖先は藤原鎌足で、代々朝廷に重く用いられたが、藤原時代に加賀守や加賀介となって任地へ赴き、そこで初めて加藤の姓を名のった。下がり藤は藤原氏を、中の加は加賀の国守を表すのだという。のち室町時代には摂津伊丹の城主となって伊丹を名のったが、攻められて一族は散り、その一部が河内の山深くへ逃れてこの地に住みつき、農民になったと伝えられる。
原典より
だから、その紋章の下がり藤は藤原氏をあらわし、その中の加は加賀の国守をあらわしたものであるという。—— 交野市史 民俗編――伝説(交野市(編)・交野市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
交野市史 民俗編――伝説(交野市(編)・交野市史)
『交野市史 民俗編――伝説』は、交野市が編んだ市史の民俗編から伝説の章を収めたものである。交野の各地に伝わる池・古墳・寺社・地名にまつわる伝えを集め、産所とよな池、弘法大師の蚊封じの池、獅子窟寺の再建の由来、小松寺の起こりなどを、所在地や文献の記述を添えて記す。郡津・倉治・私部・森・寺・傍示・私市・星田の八地区を節に立て、地区ごとに話を並べる。