米で水を装った米山城の計略
どんな伝承か
神科には城山と呼ばれる所がある。天文年間、武田信玄は大軍で米山城に籠もる村上義清を攻めたが、守りが固く城は落ちなかった。そこで水の手を断って持久戦に持ち込んだが、物見やぐらから眺めると、城兵が広場で三、四十頭もの馬に惜しげもなく水を浴びせている。水源を断たれたはずなのにどこから水を引くのかと武田方はあきれて戦意をなくし、気を緩めた。その隙に義清らは城を捨てて越後の上杉謙信のもとへ落ち延びた。水に見えたのは城内の米で、馬を洗うふりをした計略だったという。今も城跡を掘ると焼け焦げた米粒が多く出るという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 民俗編 第1巻 3 (東信地方 ことばと伝承)(長野県史)
『長野県史 民俗編 第1巻(三)東信地方 ことばと伝承』は、長野県史の民俗編のうち東信地方の伝説と世間話を抜き出したものである。植物・石・水・塚・坂と峠・山・城と屋敷・田と原・地蔵や観音・社寺・地名・禁忌などの伝えを、条ごとに採集地を添えて収める。双子池や白駒の池の主、望月の駒、甲賀三郎、ごまを作らない村々の禁忌、京の岩・宮下・菱野村の七不思議など、佐久・小県の土地の伝えが並ぶ。