仙石氏の持仏だった観音寺の地蔵
どんな伝承か
この地蔵尊はもと上田城主仙石氏の持仏だったが、国替えの際に運び出せず、築地の倉沢惣右衛門に預けられたという。二十五年後の元文三年、惣右衛門は築地の堂庭に倉立山地蔵寺を開いて地蔵尊をまつり、名僧も出たと伝わる。しかし寺は次第に衰え、明治二年頃には住職もいなくなった。しばらくは村で守っていたが、維持や供養が行き届かず、上田原の観音寺に預けて管理と供養を頼んでいる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 民俗編 第1巻 3 (東信地方 ことばと伝承)(長野県史)
『長野県史 民俗編 第1巻(三)東信地方 ことばと伝承』は、長野県史の民俗編のうち東信地方の伝説と世間話を抜き出したものである。植物・石・水・塚・坂と峠・山・城と屋敷・田と原・地蔵や観音・社寺・地名・禁忌などの伝えを、条ごとに採集地を添えて収める。双子池や白駒の池の主、望月の駒、甲賀三郎、ごまを作らない村々の禁忌、京の岩・宮下・菱野村の七不思議など、佐久・小県の土地の伝えが並ぶ。