小松女院が身を投げた三日月の滝
どんな伝承か
豊後玖珠郡には、待宵の小侍従とよく似た話が伝わる。『瀧神社縁起略』によれば、寛平年間、横笛の名手だった少納言正高は小松女院とのことが露見して官を解かれ、豊後介として下り、玖珠郡で矢野検校久の娘を妻に迎えて子をもうけた。後を追って下ってきた女院は、三日月瀧のほとりで木こりから正高の妻子のことを聞くと恨みに耐えかね、侍女の梅局とともに滝に身を投げた。正高は滝の上に墓を築いて女院と侍女十二人を葬り、子孫が女院の霊を祀ったのが瀧神社だという。今では、懐良親王が玖珠城にいたとき大友勢に攻められ、妃と十二人の上臈が池に沈み、以来水面に三日月形の鏡が現れるので鏡が池と呼ぶと語られている。
原典より
爾來この池の水面に三ヶ月形の鏡があらばれるので池の名を鏡が池と呼ぶやうになつたと言ふのである。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。