助能の妻の怨霊と劍潭
どんな伝承か
八女郡黒木の猫尾城主源助能は笛の名手だった。文治年間、大番役で京にいたとき高倉天皇の宴で笛を吹いて深く感心され、宮女待宵の小侍従を賜った。実は小侍従は後徳大寺実定卿の子を身ごもっており、卿は家来の物加波蔵人と計って生まれる子を助能の養子とし、剣と笛を添えて託した。これが後の黒木四郎定善である。故郷で夫を待っていた助能の妻は、夫が新しい妻と子を連れて帰ると聞いて恨みに耐えられず、侍女二人と淵に身を投げた。里人は塚と祠を築いて築地御前と祀ったが、怨みが祟って往来の人を悩ませたので、助能が京で賜った剣を淵に沈めて鎮めた。それで劍潭の名が残るという。
原典より
然るに郷にあつてひたすら助能の歸る日を待つた彼の妻は助能が新妻を具しあまつさへ子を携へて歸郷するを耳にし嫉恨に堪へないで侍女二人を伴ひ身を深潭に投じて死んだ。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。