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柄杓一本で伊勢へ向かった阿波の踊子

所在地三重県伊勢市(伊勢神宮)
年代幕末
登場太尾龜藏、東喜三郎、民衆、記録者、参宮者
出典阿波えゝぢやないか

どんな伝承か

伊勢への参宮は、騒ぎが地方ごとに散らばっていたことと、鳥羽伏見の戦で出鼻をくじかれたことから、それほど多くはなかったらしい。それでも阿波から伊勢を目指した者はいた。飯谷の太尾亀蔵は徳島の金比羅参りの一行から抜け、十四歳の東喜三郎らと三人で撫養から淡路へ渡り、外宮と内宮を拝んで帰った。三庄の一行は箸蔵から讃岐組と伊勢組に分かれ、柄杓一本で淡路を踊り通って大坂から伊勢へ参ったが、帰りに伏見で官軍に捕まり死骸の片づけをさせられた。撫養では参宮者を船で送ったが、帰りに港口で大きい方の船が急に転覆し、罰が当たったのだと言われたという。

原典より

伊勢大神宮に對する當時の御蔭參り扱參り、即ち「え、ぢゃないか」に於ける參宮は、騒擾が地方的に點散した關係と、鳥羽伏見の戦争のために阿波踊手の氣勢を挫いたから、さう夥しいものがなかつたやうである。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))

『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。

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