猿田彦を名乗った天狗の面のいたずら
どんな伝承か
身も魂もあらたまった翌る朝、花嫁が縁側からふと向こうを見ると、植込の木々の葉隠れに白衣の人が半身を現し、取り乱しがちな花嫁の姿を射るような目で見ていた。どこかの客であろうと思い、丁寧に辞儀をして名を尋ねると、白衣の人は横柄に二三度うなずいて「われは猿田彦の神ちや」と答えた。よく目を定めて見れば緋面隆鼻の姿であったので、花嫁は縁側に崩れ坐って拝み伏した。その隙に白衣の人は天狗の面をかなぐり取り、赤い舌をぺろりと出して、どこへともなくこそこそと逃げて行ったという。
原典より
身も魂もあらたまつた翌る朝、さしのぼる日も眩ゆいやうなうら恥かしさで、縁側からふと向うを見た花嫁は、思はずはつとしたのだつた。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。