南無観世音の念写
どんな伝承か
大正六年二月十八日、福来は二枚の乾板を厳重に封じて神戸の三田氏へ郵送し、二つの実験を求めた。一つは浅草観音堂の裏に掲げられた山岡鉄舟の額の文字を、神戸にいながら透視すること。もう一つはその文字を箱に納めた乾板へ念写することである。実験は同じ日の午後八時半ごろ、大垣町の森恭造宅で行われた。三田は額の文字を南無観世音と読み取り、これを二枚のうち一枚に念写した。二月二十一日に実験物が返送され、包装が解かれていないことを確かめてから現像すると、一枚には南無観世音の五字がはっきり現れ、もう一枚はまったく感光していなかった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念寫-心靈寫眞(福来友吉氏)
『念寫-心靈寫眞』は、ある書物の第二編第三章「念寫心靈寫眞」から、第六節「三田光一氏の念寫」を収めた抜粋である。透視能力者の三田光一が大正六年から昭和五年にかけて行った念写を、名古屋の県会議事堂、尼崎の実科高等女学校、日本地下水協会、京都嵯峨の公会堂などでの実験ごとに記す。立会人、乾板の扱い、現像の結果を順に挙げ、筆者自身の感想と考察を添える。