仏間の乾板に現れた故人の顔
どんな伝承か
昭和五年十月二日の朝、麻布区飯倉にある牧野敦子夫人の家の仏間で、故牧野二郎の肖像を写す念写が試みられた。使う乾板は夫人が電話で写真材料店に届けさせたもので、手札形一ダース、封を切らずにそのまま仏壇へ供えられている。術者の三田は乾板から五尺五寸ほどの位置に座り、夫人はその後方に控えた。実験は午前十時二十五分に始まり、わずか一分五秒で終わった。乾板は床の間に置かれ、その夜、同じ仏間を暗室に仕立てて濱豊彦が現像している。一枚目と十二枚目は陽画、二枚目は陰画で、三枚とも寸分違わぬ同じ肖像だったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念寫-心靈寫眞(福来友吉氏)
『念寫-心靈寫眞』は、ある書物の第二編第三章「念寫心靈寫眞」から、第六節「三田光一氏の念寫」を収めた抜粋である。透視能力者の三田光一が大正六年から昭和五年にかけて行った念写を、名古屋の県会議事堂、尼崎の実科高等女学校、日本地下水協会、京都嵯峨の公会堂などでの実験ごとに記す。立会人、乾板の扱い、現像の結果を順に挙げ、筆者自身の感想と考察を添える。